沖縄 アリは象に挑む
▼あとがき──編集を終えて▼
 一九九五年九月四日に起きた在沖米兵による少女暴行事件は、『労働情報』が再び「沖縄」と向かい合うきっかけとなり、新人スタッフの私が沖縄担当となった。初めて沖縄を訪れたのが、九六年一月。由井晶子さんとは、その時以来のお付き合いだ。当時、沖縄タイムスの論説委員だった由井さんは、少女暴行事件と地位協定の関係を話してくださった。
『労働情報』の読者ではあったが、ほとんど面識のないTさんが「家に泊まりなさい」と自宅に招いてくださった。その時にお会いした近所の方たちから、異口同音にヤマトの人間だろうとまず確認され、にこやかに会話しつつも、日本人としての罪悪感で緊張しっぱなしだったことを思い出す。
 そのTさんに紹介されたのが、真喜志好一さんだ。当時、「普天間の移設先が辺野古」が常識だったことに対し、「辺野古は一九六六年から計画された新基地である」ことを米軍資料から発見した真喜志さん。「少女暴行事件により、今までの反基地運動が本気でなかったことを気づかされ、愕然とした。それは一般市民、軍用地主も同じ。沖縄中が、このままではいけないという気持ちになった」と言う。
 由井さんは、四二年間の新聞記者生活を終えた九七年という年は、公私ともに忘れられない年だと言う。沖縄総ぐるみの脱基地運動が高揚から低迷に転じた年でもある九七年は、原発同様、危険と引き換えに莫大な資金が注ぎ込まれ、沖縄の一体感は崩れかかっていた。長く県外にいた欠落を埋めようと、市民運動の場に出るようになった年でもあり、自分の役目は伝えることだと観念した年だと言う。
 そして今年の三月初旬、「由井さんの連載を本に」と真喜志さんから電話。「由井さんのように、運動に少し距離を取りつつ寄り添いながら、全体を見回し論考するという立場で、定点観測のように沖縄を書き続けた人はいない。いま、そういう本が必要!」と。全てが満足した文章ではないからと渋る由井さんも、まわりの強い勧めで了承してくださった。一月二月以降、普天間基地の移設先が辺野古に舞い戻る理由だったはずの抑止力は方便でしかなかったという鳩山発言や、「沖縄はごまかしの名人で怠惰」という差別発言を行った米高官メア氏の更迭などが、日本の大手マスコミでも連日報道されるなど、運動に有利な状況が続いていた。
 ところが、東日本大震災、福島第一原発事故が起き、事態は一変。「沖縄と原発は同じ構造」と、編集作業を急ぐとともに、出版元を原発問題で信頼度が高い出版社である七つ森書館にお願いすることに決めた。
 この本は、由井さんの一四年半にわたる執筆・連載から辺野古・高江の新基地建設問題を中心に、それに関連する沖縄返還に伴う密約事件を抽出したものに加筆し、地図・年表及び注・資料の監修は真喜志さんが担当して下さった。初めての作業で予想以上の時間がかかり、七つ森書館のみなさんにはご迷惑をおかけした。校閲・校正の岡本由希子さんの丁寧な仕事、『労働情報』のスタッフの岩崎松男、伊藤ひとみ、八戸静恵のさまざまな援助に対し、この場を借りてお礼を申し上げたい。
 「この本が編年史として、事典的に「引く」本になればと願う。特に本土の人に利用していただきたい」という由井さんの想いを紹介するとともに、自分らしく生きようとする人々への応援歌としても一人でも多くの方に読んでほしいと願う。
   「普天間移設」が辺野古に舞い戻った一年後の五月二八日に記す。
                       『労働情報』編集長 浅 井 真 由 美
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