オスプレイ配備の危険性
前書きなどより
1 オスプレイが全国に展開されることの意味
 普天間基地は沖縄県宜野湾市の真ん中にあり、住宅が飛行場を取り囲んでいる。米軍機の飛行ルートの下には、病院、学校、保育所等、人が集まる施設が120以上もある。2003年、普天間基地を上空から視察したラムズフェルド米国防長官(当時)は「こんなところで事故が起きないほうが不思議だ」と漏らした。事実、その翌年8月には、普天間基地所属の海兵隊大型輸送ヘリが沖縄国際大学のキャンパスに墜落、炎上という事故が起きた。米軍機による訓練飛行が発生する騒音は、多い年では3万回を記録する。

 普天間基地を抱える宜野湾市は、「世界一危険な基地」の閉鎖、返還を要望してきたが、返還が具体化したのは、1995年に起きた米海兵隊兵士らによる少女暴行事件がきっかけだった。反基地世論の高まりの中、大田県知事は普天間基地返還を最優先課題として国に要望。1996年に日米両政府が全面返還で合意した。
 しかし返還には、代替施設として「撤去可能な海上へり基地」の建設が条件(「沖縄に関する特別行動委員会」SACO合意)とされた。候補地として名指しされた名護市辺野古では、基地のたらい回しだという批判や、ジュゴンも生息する自然環境を守れという住民の運動が生まれ、1997年に実施された住民投票では受け入れ反対の声が半数を超えた。住民の反対運動は、今日までねばり強く続いている。

 2001年9月に発生した同時多発テロをきっかけに、米国は軍事戦略の抜本的な見直しに着手し、地球規模での米軍基地再編・見直しが始まる。普天間基地の返還問題も「SACO合意」の流れと、対テロ戦争のための米軍再編の動きがからみ合い、日米の米軍再編協議という段階へ進んだ。
 再編協議の結果は、2005年10月「日米同盟:未来のための変革と再編」という合意文書にまとめられ、翌2006年5月、「再編実施のための日米のロードマップ」が発表される。ロードマップは、沖縄の海兵隊の司令部と8000人の海兵隊員と9000人の家族を2014年までにグアムに移転と明記され、普天間のヘリ部隊が辺野古の代替施設に移るという内容だった。この段階で、初めてグアムの名が、海兵隊の移転先として出てくる。
 2009年に誕生した民主党政権は、鳩山首相が「最低でも県外」を掲げ、沖縄県内外に強い期待が生まれたが、最後には「海兵隊の抑止力」を持ち出し、辺野古移設を米国と再確認する合意を結ぶ結末となった。
   普天間基地と辺野古の代替施設をめぐる動きに対して、沖縄の世論は一貫して県内移設反対であり続けた。2010年1月には、辺野古移設に反対する稲嶺名護市長が誕生し、翌2月には沖縄県議会で全会一致で県内移設反対決議が可決される。さらに4月には、沖縄県内の全市町村長、全市町村議会議長、全沖縄県議会議員、沖縄県知事が参加する90,000の県民大会で県内移設反対が強くアピールされた。
 こうした沖縄世論の現状をみて、米国は今年2012年になって、海兵隊のグアム移転と辺野古の新基地建設はパッケージだとのこれまでの主張を転換。海兵隊のグアム移転の先行について日本政府と協議を開始。普天間基地問題は、辺野古断念を見据え、固定化の懸念という新たな段階に入った。
 その「世界一危険な基地」である普天間基地に、タイム誌が「空飛ぶ恥」と報道した複合機「オスプレイ」の配備が、強行されようとしている。
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