アジア@世界
817号

●スペイン
「高失業に抗議して数千人の若者がマドリードの広場を占拠」

 3月15日にマドリードで、緊縮財政政策に抗議するデモに2万人が参加し、若者約300人が同市の中心部にあるプエルタ・デル・ソル(「太陽の門」)広場に野営した。
 17日早朝、警官隊が導入され、若者たちを退去させ、18人を逮捕した。しかし午後には数千人が同広場に再結集した。若者だけでなくあらゆる世代の市民、労働者、失業者が駆けつけた。多数が寝食できるようにテントが建てられ、委員会が組織された。テント内では政治討論が活発に展開され、法律対策、食事の体制、清掃とゴミ収集の体制、寝室やトイレの確保などがテキパキと組織された。キャンプの中には様々なポスターが貼り出され、また、移動のためのスペースが広く確保され、通行人や観光客も気軽に立ち入れる。
 5月21日には、夕方から3万人が広場に集まり、政府の緊縮財政政策に怒りを表した。スペインでは5月22日に地方選挙が実施され、前日のこの日は集会・デモが禁止されていたにも関わらずである。
 バルセロナ、バレンシア、セビリア、ビルバオなどの都市でも抗議行動が行われた。  「スペインの人々はこれまで緊縮政策を我慢してきた。若者の失業率は45%に達してい
る。抗議行動は長期化した経済危機へのフラストレーションを表現している」(5月22日付のロイター紙)。
 広場に運び込まれたソファーで仮眠している若者の横に座っていたマリアさんは「若者たちがついに立ち上がってくれてうれしい。その時がきた」と語る。マリアさんは孫に会うために広場へ来たと言う。
 社会学者のフェルミン・ボウザさんは「私たちはいつかこんなことが起こるとわかっていた。スペインの政治は希望が持てない状況が続いてきた。何かがおこらなければならなかった」と語る。
 政府は衝突を避けるために、警察力による集会禁止を回避した。集会参加者たちは挑発を避けるために、スクラムを組んで座り込むことを打ち合わせていた。広場内での禁酒も徹底された。
 同27日には、バルセロナのカタルナ広場を占拠していた若者たちに対して警官隊が動員され、暴力的に若者たちを排除し、キャンプを解体・撤去した。同日に開催されるサッカーの試合の警備のためである。しかし、同日夕方には約5千人が広場を再占拠した。
 同29日には、プエルタ・デル・ソルを占拠している若者たちの総会が開催され、撤収か継続かをめぐって長時間にわたる議論が行われた。結論として、占拠をさらに1週間継続後、もう一度総会を開催することが決定された。
 スペインでは社会労働党のサパテロ首相の下での財政赤字削減のための一連の緊縮政策に対して昨年6月8日に公務員スト、同9月29日には8年ぶりのゼネストが行われた。しかし、その後、2大労組が政府との社会協定を結び、闘争態勢を解除した。
 しかし、経済危機の持続、とくに国債の格下げに伴う金利負担の増大とEU内での圧力の高まりの中で、社会労働党政権は急速に支持を失い、5月22日の地方選挙では大敗北を喫した。
 この状況の中で、チュニジア、エジプトの革命に触発された若者たちがフェースブックなどのソーシャルメディアを使ってグループを形成し、3月15日のデモを呼びかけた。
 掲げられたスローガンは「街頭へ、真の民主主義を今すぐ!」、「私たちは銀行家や政治家の商品ではない」など、新自由主義がもたらした経済危機と議会政治の行き詰まりに対する怒りと挑戦をストレートに表現している。
 この運動は「怒れる者たち」の運動と呼ばれ、5月15日のデモから始まったことから「M15運動」とも呼ばれている。
 この運動の中心的なグループの1つである「未来のない青年たち」は、「家もない、仕事もない、年金もない、だから何も恐くない」というスローガンを掲げている。

●韓国
「自動車部品工場のストで現代、起亜の生産が停止」

 忠清南道牙山市のユソン企業(YPR)の労働者が5月18日、労働時間の短縮などを要求してストライキに入った。ユソン企業はエンジン用のピストンリングなどの部品の有力メーカーであり、ストの影響で現代自動車の蔚山工場などで生産が一部停止した。
 5月24日朝、2千700人の警察官が導入され、工場内に座り込んでいた500人の労働者を排除した。
 以下は「ハンギョレ」ウェブ版(英語版)の同26日付のレポートの抄訳である。
 1個千351ウォン(1ウォンは約0・08円)のピストンリングが世界に衝撃を与えた。ユソン企業の500人の労働者がストライキに入った瞬間に現代自動車と起亜自動車の製造ラインが停止し、韓国の自動車産業は不安に陥った。
 YPRは5月25日に生産を再開したが、現代と起亜の平常の稼働は同28〜29日になると予想される。部品供給チェーンの1つの環が切れると生産システム全体が停止するという弱点が明らかになった。いわゆる「ピストンリングのモラル」である。
 実際には、自動車製造企業がこの問題に陥ったのはこれが初めてではない。1995年の神戸の震災で日本最大のピストンリング・メーカーであるリケンの工場が2週間にわたって操業を停止した。ピストンリングの50%をリケンに依存していたトヨタは200人の従業員を派遣して復旧を支援した。2003年にドイツの金属労組の組合員がピストンリング製造工場にピケを張って入構を阻止したとき、ピストンリングはヘリコプターで輸送された。
 このような先例があり、事態の重要性が予見されていたにもかかわらず、現代と起亜はこの危機に対応できなかった。YPRの組合がスローダウン戦術と超勤拒否を開始したのは5月初めだった。しかし、ピストンリングの75%をYPRに依存している現代と起亜は、通常通り3〜4日分の在庫しか確保しておらず、その結果、生産の部分的停止を余儀なくされた。
 証券会社のアナリストであるパク・サン・ウォン氏によると、「ピストンリングは価格は安いが、先進技術を必要とすることが特徴だ。そのためわずか数社が独占的に製造している。このリスクを知りながら何の準備もなかった自動車メーカーの大失態は驚くべきことだ」と語っている。
 現代と起亜は昨年6月に、自動車用の座席を製造しているDAS社のストライキでも窮地に追い込まれた。4日分の在庫しかなかった。
 このほかにも現代と起亜は、ヘッドランプ、ロワーアーム、ブレーキディスクなど180種類の部品を、特定のメーカーに50%以上依存している。
 ある自動車メーカーの役員によると「現代と起亜は単価の引き下げに応じられる企業に発注を集中したため、1社か2社に依存するようになっている」と指摘する。

●エジプト
「『第二革命』を掲げてタフリール広場に数万人」

 ムバラク政権打倒後も、毎週金曜日にタフリール広場で礼拝の後の集会が行われ、暫定政権に対する要求や選挙についての態度などの討論が展開されている。
 5月27日には「第二革命」の呼びかけに応えて、数万人が集まり、暫定政権に対して民主主義的改革の加速を要求した。
 礼拝を主宰したシェイク・マザール・シャヒム師は、ムバラク前大統領とその側近を訴追すべきことや、国民の統一の必要性と軍隊の重要性を強調した。
 最大の政治勢力であるムスリム同胞団は、金曜日の集会は軍と国民の間の対立を煽ると批判し、不参加を決定した。
 ムスリム同胞団は9月に予定されている選挙に向けて準備しているが、民主化を要求してきたグループの一部は、より民主的な選挙を可能にするために選挙を延期することを要求している。
 集会参加者は、ムバラク側近の訴追のほかに、国営メディアの改革、腐敗した大学学長や知事の解任、軍・警察の権限の制限と独立した司法、民間人に対する軍事裁判廃止などの要求を掲げている。
 集会を呼びかけたグループは「国会選挙の前に新憲法の起草を」、「軍事評議会を廃止して大統領評議会を」というスローガンを掲げたが論争となった。
 「革命青年連合」のハレド・アル・サイードさんは、検察庁が(金曜日の集会の直前に)ムバラクの刑事訴追を指示したのは、「闘う前に勝利した」ことだと述べた。
 ヘシャム・フォウアドさん(エンジニア)は、革命の中で負傷した仲間のことが無視されたことに抗議に来たが、「国会選挙の前に新憲法の起草を」というスローガンには反対だと述べた。彼は「3月の国民投票で現行憲法の改定案が70%の賛成で承認されたのだから、この要求は民主主義に反する」と批判した。
 裁判官のマフムード・アル・ホデイリーさんは「革命はまだ司法省には達してない」と述べ、司法の独立を要求した。 同30日に軍最高評議会は、1〜2月の革命に参加したすべての若者のグループに対話を呼びかけ、6月1日に会合を開くことを提案した。

●グアテマラ
「バナナ農園労働組合のリーダーが相次いで暗殺される」

 4月10日、SITRABI(イサバル州のバナナ農園労働者の組合)の活動家のウンベルト・ゴンサレス・バスケスさんが何者かに射殺された。
 5月30日にも、SITRABIの財政担当書記のイダール・ホエル・エルナンデス・ゴドイさんが虐殺された。
 ITUC(国際労連)はコロム大統領に対し、活動家への暗殺や暴力的攻撃を阻止するための実効的措置を講じることを要請した。

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