たたかいの現場から
808号

大阪夕陽丘学園の不当解雇問題で和解が成立、復職へ

 本誌781(09年12月15日)・792号(10年6月1日)既報の大阪夕陽丘学園の不当解雇問題が、10年12月27日、大阪高裁で寺田教諭と学園の間で和解が成立。同時に中労委で争っていた大阪教育合同と学園の不当労働行為事案についても和解した。
 高裁の和解内容は、(1)懲戒解雇を撤回し停職3ヵ月、(2)11年4月1日原職復帰、(3)未払い賃金の全額支給、(4)PTAに対して謝罪し、施設費請求の二分の一を返済、(5)学園がPTAに刑事告訴取り下げを含めた要請をする、等である。また、中労委での和解内容は(1)寺田組合員に過重な処分をしたことを謝罪し、教育合同に対し遺憾の意を表す、(2)学園は組合に対し解決金を支払う、等である。
 本件は、部活動費用捻出の施策として、それまで赤字補填のために行われていた施設費請求を継続し、部活動費に充当していたことを「詐取」と断定し、十分な調査も行わず、団交での申し入れや説明も聞かずに、処分を強行したことに端を発する。その背景には、様々な理由から「寺田教諭を学園から追い出す」事が目的であったと考えられる。
 懲戒解雇事案で、「和解→復職」は難しいとされるなか、本件がこのような形で勝利出来たのには、いくつかの特徴的な要因が考えられる。
 一つ目は、担当弁護士と所属組合である教育合同の連携した緻密な戦術。また、労働委員会では組合専従自らが時機を得た行動を組織し、支援者の統率を図ってくれたこと。二つ目は、前述の背景事情を見通した、前理事者や退職教員+教職員有志、寺田教諭が担当していた生徒・保護者などが支援を表明、守る会や学園更生委員会を結成し、漫画本やニュース作成・傍聴者確保などを組織的に行ってくれたこと。また、前述二組織と学内組合との三者が連携して、運動そのものを計画的且つ継続的に行ったこと。最後に解雇当該自らが、大半の期間、校門の外に立ち、生徒たちに「おはよう」と声をかけ就労闘争を継続し、頑なに復職を求めて行動したこと。  それぞれの運動が、「当該の原職復帰」の一点の下、教育合同を中心に結集したからこそ結実した勝利であったことを強く強く感じる。

間ア由美子(大阪教育合同労組夕陽丘学園支部長 )

郵政ユニオンへの差別を許さない支援共に参加を

 日本郵政は21万人の非正規労働者が働く日本最大の非正規雇用会社です。郵政労働者ユニオン長崎支部(43名)が、07年10月の民営化以降3度のストライキなどで均等待遇などを求めて闘ってきた結果、会社は昨年夏に登用試験を行いました。しかし長崎中郵では、ユニオンの受験者21名全員を不合格とし、「ユニオンでは正社員になれない」と揺さぶりをかけています。
 また昨年4月、会社は長崎中郵支部の松江國晴支部長に対し、長崎北局へ不当な配転を命令し、ユニオンつぶしを画策しています。支部長は支部でただ一人の余人に代えがたい存在であり、現職支部長の配転は受け入れられません。これを放置することは、第2第3の松江配転攻撃がかかり、必ず全国の郵政ユニオンへ波及し、多くの労働組合へも連動することは明白であり、ユニオン長崎は闘うべきだと考えました。
 また昨年5月、郵政ユニオン長崎は結成20年を迎えましたが、未だに会社は県労働委員会の斡旋すら拒否し、組合事務室を貸与せず、不当労働行為と差別処遇という違法状態を継続しています。
 郵政ユニオン長崎は、これ以上、当事者間の交渉での解決は困難と判断し、松江配転の撤回と組合事務所貸与を求めて、県労委への提訴を決定しました。また次に行われる正社員登用試験での再度の差別を許さないために監視を強める立場で、郵政ユニオンと地域での共闘を提起することとしました。本会は昨年12月22日に設立準備会を開き、2月16日に発会します。
 1月8日、ユニオン中央執行委員会も、この差別は長崎だけの問題ではなく全国的であることから、支援を決定し、広く闘うことを確認しました。

郵政ユニオン長崎

◆加入要請
 年会費千円(個人)、団体は2千円
 会員には会報「出島」をメール送信
◆連絡先
 郵政労働者ユニオン九州地本
 長崎市恵美須町2−5
 サンロイヤルV202
 tel.:095−828−1953
※詳細は郵政ユニオン九州のHP

原因に背を向け遺族の期待を裏切るJR証人
 JR尼崎事故の刑事訴訟の公判に注目を!

 注目されるJR尼崎事故の刑事訴訟(被告前社長・山崎正夫)初公判が昨年の12月21日から始まった。すでに今年の1月14日には3回目の公判を迎えた。  今回の尼崎事故裁判で業務上過失致死容疑で起訴された内容の核心は、(1)危険なカーブにATSを整備するという共通認識があったか(2)カーブの付け替え(注1)とダイヤ改正で事故の危険性が高まったと認識できたか(3)カーブ付け替え直前に起きたJR函館線脱線事故(注2)について「ATSがあれば防げた事故」と認識できたかである。被告山崎氏はカーブ付け替え当時の鉄道部本部長(96年6月から98年6月)であった。  検察側は(1)についてはJR西では半径450メートル未満のカーブにATSを順次整備しており認識はあった(2)カーブ手前で時速120キロから70キロへ50キロもの減速が必要になった時点で危険性が高まったと認識できた(3)鉄道本部の会議で「ATSがあれば防げた事故例」として紹介されており認識していたと主張した。  今回の証人尋問はまさに上記(1)と(2)について、カーブ付け替えの工事担当者A氏と東西線(注3)ダイヤ改正の担当者B氏への尋問であった。検察側(以下K)「安全の基準は運転士もミスをすることを基準に作られているのではないか」A「一定のルールに基づいて作られている」、K「運転士がミスをすることはないのか」A「わからない」、K「ATSは運転士がミスをすることを前提に設置されているのではないか」A「わからない」、K「ATSの知識は持っていたか」A「ありません」、K「96年の函館線脱線事故については知っていたか」A「わかりません」。これらのやり取りを見ても分かるように当時の施工管理担当者であるA氏はあくまで山崎氏の責任を回避するため、工事担当者として熟知すべきことを平然と「知らぬ存ぜぬ」でやり過ごした。挙句の果てに「なぜ制限速度標識を建てたのか、運転士がルールどおり運転するのであれば、いらないのでは」との尋問にまで「わかりません」と答弁。その証言を聞いていた遺族らは「失笑と失望」で思わず声をもらしていた。

 この裁判は本年9月30日までに計29回の公判が予定されている。ほぼ毎週1回開催することになる。第1回目の公判には500名以上が傍聴希望者として並んだ。しかし、第3回目には60名程度に急減した。世間の注目度は落ちてきている。しかしこれからがこの公判の山場を迎える。「稼ぐ」を第一に掲げ「同業他社を追い抜く」としたJR西日本の利益第一主義の民営化がこの事故を生んだことを明らかにしなければならない。

桐生隆文(JRに安全と人権を!株主・市民の会)

◆注1【96年12月21日 JR福知山線カーブ付け替え】
 福知山線から(新規開業の)東西線への乗り入れを円滑にするため、96年12月21日に事故現場カーブを半径600メートルから304メートルの急カーブに付け替えた。

◆注2【96年12月4日 JR函館線脱線事故】
  96年12月4日早朝、函館線で、20両編成のコンテナ列車が半径300メートルのカーブで制限速度を大幅に上回る時速117キロで走行中に、非常ブレーキが作動し脱線。19両が斜面に転落。死傷者はいなかった。原因は運転士の居眠りとされ、「運転士が操縦操作に適切さを欠いた」などと分析された。

◆注3【97年3月8日 東西線開業】 97年3月8日の東西線開業に伴うダイヤ改正に伴い、現場カーブ直前で最高時速120キロになる快速電車が1日34本から94本に増えた。

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