アジア@世界
喜多幡 佳秀&稲垣 豊 ・訳(APWSL日本)
862・3号

香港 : 港湾労働者が賃上げ要求でストライキ

 職工会連盟(CTU)傘下の香港港湾労働組合の500人の労働者が17〜24%の賃上げと労働条件の改善を要求して、3月28日からストライキに入っている。
 葵青(クワイチン)の国際コンテナ埠頭でのピケット行動(裁判所の命令によって港湾へのスト参加者の立ち入りは一度に80人までと制限されている)に連帯して、周辺の道路でスト参加者と支援者たち数百人が徹夜で座り込み、支援のコンサートなども行われている。
 港湾に出入りするトラックの運転手が連帯の「病休スト」に入ったことも伝えられている。

 香港の運動系ウェブ「主場新聞」には、次のような記事がリアルタイムで掲載されている。
 「十数年間も賃上げなく −− 労働者がコンテナ埠頭でスト抗議」(3月28日午前10時)。「港湾労働者の抗議行動に各方面からの支援」(同午後4時)、「埠頭会社が責任を請負業者に押し付け −− ピケ排除に警察を導入か」(同午後5時)。「港湾スト拡大 −− 全労働者にスト基金へのカンパ呼びかけ」(同29日)。「港湾スト四日目 −− 会社側は交渉拒否、闘争は長期化へ(同31日)。

 4月7日、コンテナ埠頭の労働者たちは埠頭から街頭へ繰り出した。家族や支援の市民たちと合流し、4千人がビクトリア公園から港湾会社を支配する李嘉誠の長江グループのビルまでデモ行進し、賃上げなどを訴えた。その後、香港政庁ビルまでデモ行進し、政府による大企業優遇政策を批判し、政府が港湾会社を指導するよう訴えた。

 香港の「蘋果日報(アップルデイリー)」紙、4月8日付は次のように報じている。
 「…労働者は孤立していない。デモ出発前の集会では、港湾労働者の妻や子どもたちが、夫や父親である港湾労働者に赤いバラを送り、無限大の支持を表明した。
 埠頭でクレーン操作を行っている夫と2歳の娘と一緒にデモに初めて参加した梁さんは長いデモを最後まで歩きとおしたが、疲れるどころか、感動に包まれたという。
 …この3年間、夫は早朝から夜遅くまで働き、食事やトイレなどもクレーン操作室で済ませなければならなかったという。彼女は何度も別な仕事を探すように夫に勧めた。ストライキは収入に影響する。彼女も仕事をやめたばかりで、なけなしの貯金を取り崩して生活しているが、彼女は後悔していない」。

 香港では法律上の制約もあり、大きなストライキは稀だ。港湾労組は独立労組として、職種や企業の枠を超えた闘いを組織している。中国共産党系のFTU(工会連合)などは経営側とゆ着しており、独自に12%賃上げという解決案で会社側と交渉し、拒否された(会社側の回答は7%)。

 ストライキに対する国際的な支援も広がっており、国際運輸労連(IFT)の委員長が激励のために香港を訪れ、米国のAFL・CIOは5千ドルのカンパを送った。
 ストライキなどの行動で、貨物取扱量世界第3位の港湾が機能を停止し、ストライキが3週目に入った段階で12万台のコンテナが放置され、貨物船の運航は最大60時間遅れている。国際コンテナ埠頭の管理会社の損害が1日500万香港ドル(1香港ドルは約13円)に達する。しかし、香港の「チャイナ・レイバー・ブレティン」(4月3日付)は、07年4月の港湾ストが労働者の要求を受け入れて解決した例を挙げ、会社側はこの教訓から学ぶべきだと主張している。

 (職工会連盟のウェブサイト、「主場新聞」、「蘋果日報」、「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」等より)

 

メキシコ : タイヤ工場で1141日間の闘争の後、8年余にわたり自主生産

 メキシコ中西部のグアダラハラ市の郊外、エル・サルトのタイヤ工場TRADOC(「西部民主的労働者協同組合」)は、05年から労働者管理の下で運営されている。倒産し、閉鎖された工場の労働者管理、自主生産の闘いは小規模な工場が多いが、この工場は現在1050人の労働者が共同で運営しており、厳しい国際競争の中で、高い水準の賃金・年金を維持している。以下は米国「レイバーノーツ」誌のジェーン・スローターさんのレポート(4月2、3日付)からの要約である。

 この工場は1970年に、当時のラテンアメリカで最新鋭の工場として設立され、98年にコンチネンタル・タイヤ社(ドイツ企業で、世界第4位)が買収し、主に米国向けにタイヤを製造してきた。
 NAFTA締結後、輸入の急増で多くのタイヤメーカーが経営危機に陥り、大部分の組合が大幅な賃下げや労働条件の引き下げに応じる中で、同社の労働者は01年にチュイ・トーレスを組合委員長に選出し、会社側のリストラ策と対決してきた。
 会社側は同12月16日に一方的に工場閉鎖を通告した。組合は設備や完成品の搬出を阻止し、02年1月から3年間にわたってストライキやデモ、ドイツへの遠征、国内および国際的な連帯を継続した。
 04年にメキシコ政府はストライキの合法性を認め、会社側にストライキ期間中の賃金の支払いを命じた。同年8月に会社側は工場の所有権の半分を組合に売却する(未払い賃金と相殺)と提案した。労働者は退職金を受け取り、工場所有権の残り半分は地元の販売会社が買収し、共同で工場を再開することとなった。05年2月18日に工場は正式に引き渡され、「コーポラシオン・デ・オクシデンテ」(TRADOC)と改名された。
 工場閉鎖当時の労働者940人のうち587人が残った。最初の4年間は赤字経営だったが、1人も解雇することなく、生産体制を拡充した。当初は製品を低価格で販売せざるを得なかったが、08年に米国オハイオ州のクーパー・タイヤ社と提携し、原料の低コストでの供給と、安定した販売網を確保したことによって、厳しい国際競争の中で生き残ることができ、しかもメキシコのタイヤ産業では最高の賃金を支払っている。
 職制は廃止され、ノルマは低く設定されている。資産の売却や新規投資などの重要な決定は年に2回の総会で行われる。日常的な運営は管理評議会の下で行われる。
 タイヤの製造は複雑な技術と熟練した労働者を必要とし、安全が要求される。労働者たちは、「安全な製品を作り続けることがわれわれの雇用を守る」と語っている。
 TRADOCはまた、連帯基金を設けて、工場閉鎖と闘う労働者を支援している。


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