アジア@世界
喜多幡 佳秀 ・訳(APWSL日本)
895号

★米国:ガザ攻撃に抗議イスラエル船をボイコット

 米国西海岸で、イスラエルのガザ攻撃に反対する活動家たちが、イスラエル商船のオークランド港への入港と荷役作業を4日間にわたって阻止した。


 8月16日午後、数千人の活動家が、オークランド港の近くの駅からデモで港へ向かった。港ではILWU(国際港湾倉庫)第10支部の組合員と連携して、ピケット闘争が計画されていた。しかし、デモ到着前に、この商船を保有するZIM社(イスラエル最大の海運会社)はこの日の入港の断念を発表。
 サンフランシスコに本部を置くアラブ青年協会のサメシュ・アエシュさんがラウドスピーカーで、「私たちはZIMラインの米国入港を阻止した」と叫んだ。


 港では勝利集会が開かれ、ILWU第10支部組合員のクラレンス・トーマスさんはILWUの伝統的なスローガンに言及して、「私はみなさんに、1人への攻撃は全員への攻撃であることを知ってもらいたい」と訴えた。彼はまた、「このような行動が世界各地の港で繰り返される必要がある」と述べた。
 ILWU第10支部自身は今回の行動について公式態度を決定していないが、一部の現場組合員は今回の行動について支持を表明し、ピケットを越えないことを決めていた(同支部が締結している労働協約によると、組合は組合員の健康や安全を確保するために就労を拒否できる)。


 翌17日(日)午後には、この船の荷役作業を命じられたILWU組合員から連絡を受け、再び緊急ピケット行動が呼びかけられ、続々と活動家が集まってくる。荷役作業を命じられた組合員はピケットから離れたところで待機し、第10支部のメルビン・マッケイ委員長からの指示を待った。同委員長は組合員に現場からの退去を指示、ピケットからは歓声が上がった。

 同支部は18日に、ピケットと警察官が対峙している17日の状況から判断して、組合員を安全な場所に退避させたと声明を発表。オークランド港における業務を管理しているSSAマリン社も午後7時半に作業中止を決定した。


 18日と19日にも同様の攻防が繰り返され、その後、この商船は別の埠頭へ向かった。
 イスラエルの商船が2日以上も荷役を拒否されたのは初めてであり、ボイコット運動の大きな勝利である。

(「電子インティファーダ」8月19日付および「イン・ジーズ・タイムズ」紙同20日付より)

 

*全世界で拡大するBDS運動

 

 イスラエルのガザ攻撃の実態が明らかになるにつれて、イスラエルに対するBDS(ボイコット、投資引き上げ、制裁)運動が拡大し、同国の経済に重大な影響を及ぼしている。
 パレスチナの人権活動家で、BDS運動の創始者の1人でもあるオマール・エル・バルゴウティ氏によると、イスラエルの政権はBDS運動が学術・文化交流、軍事、経済の各分野にさまざまな形態で展開され、相互に関連していることに特に脅威を感じている。

 この数ヵ月間だけでも、米国で最も有力なプロテスタント教会の1つである長老派教会が、イスラエルの占領政策に関わっている3つの企業(キャタピラ、ヒューレットパッカード、モトローラ)からの投資引き上げを決定した。今年3月にイスラエルの「マアリブ」紙はBDS運動がイスラエルに14年にすでに1億シェッケル(1シェッケルは約30円)の損失をもたらしていると報じている。


 イスラエルの占領政策に加担しているベオリアはスウェーデン、英国、アイルランド等での公共機関の入札から排除されたことにより200億ドル以上の事業機会を失った。世界最大の警備会社G4S(英国とオランダと英国の)も、同社の子会社がイスラエルにおけるパレスチナ人の監獄の建設に関わっていることでBDSのターゲットとされている。

 しかし、人権活動家で電子インティファーダの寄稿者の1人であるアドリ・ニューフォフ氏は、経済的ボイコットと同時に、武器取引を禁止することも重要であると指摘している。イスラエルは軍事用無人機の世界最大の生産国・輸出国の1つである。長年にわたる戦争政策の下で開発されてきたイスラエルの技術は、「実地試験済み」の技術として世界に輸出されている。


 BDS運動はノーベル平和賞受賞者や、作家、音楽家など多くの著名人の支持を得ており、また、学術・文化交流ボイコットはイスラエル社会に動揺を与えている。

(「アフラム・オンライン」紙8月16日付)

 

 

★タイ:ISGタイが軍政批判の声明

 「タイの民主主義と人権のための国際連帯グループ」(ISGタイ)は、軍事クーデターから100日目にあたる8月30日に向けて、民主主義の回復を求める声明を発表した。ISGタイは7月にマニラで開催されたタイの軍政に反対する国際会議を契機に結成され、タイ、フィリピンのほか、マレーシア、インドネシア、韓国などの団体が参加している。
 以下はISGタイの声明の抄訳である。

 

 5月22日に軍が政権を奪取し、国家平和秩序評議会(NCPO)を設立して以降、国際社会はタイにおける人権と民主主義の重大な後退を深刻に憂慮している。
 私たちは人権と民主主義の間の重大かつ不可分の相互関係を認識しつつ、タイにおいて民主主義が置かれている困難な状況の中で、対立のいずれの側においても人権が無視されてはならないことを強調しなければならない。
 この観点からISGタイは、タイ国軍に対して次のことを要求する。


(1)戒厳令を解除し、国際的な人権条約・規約に反するすべての布告・命令を撤回すること。
(2)民主主義的に選出された文民政府の回復。
(3)すべての人権侵害を中止すること。特に以下のことを中止すること。
 ・人権活動家や草の根の活動家への脅迫と嫌がらせ
 ・令状なしの逮捕、拘留
 ・集会の自由への抑圧
 ・表現の自由への抑圧
 ・報道の自由への抑圧
 ・法律や法手続きの無視
 ・移住労働者の人権の侵害
(4)軍に対する文民統制の確立。
(5)人権侵害の責任者の免責をやめ、訴追すること。
(6)暫定憲法から国際人権規約・条約に反するすべての条項を除去すること。

 

*軍支配の下の生活−クーデター後のタイの人権状況

 

 5月20日の戒厳令布告と、その2日後の軍事クーデター以降、軍事政権の下でタイの人権状況は急速に悪化している。東南アジアで最も民主主義的な国として知られていたタイが、今では世界で数少ない軍事独裁体制下の国の1つとなってしまった。500人以上の人が軍に喚問され、242人が逮捕された。その多くは不敬罪やコンピューター関連犯罪の容疑で起訴されようとしている。


 クーデター以降、12人が不敬罪で起訴された。これにはクーデターに反対する平和的なデモに参加して逮捕された弁護士のアピチャト氏も含まれる。また、昨年10月に学生とアーチストのグループによって上演された劇に関連して、クーデター後に2人の若い活動家が不敬罪で逮捕された。2人とも裁判所によって保釈申請を却下されている。


 平和的デモも禁止されている。抗議の意思を象徴するため駅や街頭で座り込んでジョージ・オーゥエルの「1984年」を読む、あるいは3本の指(自由・平等・博愛を象徴する)を立てて挨拶するなどのアクションが広がったが、そのような行為も禁止された。78人以上が平和的なデモに参加して逮捕された。バンコク警察は軍に抗議する行動についての情報を提供したり写真を提供した者に500バーツの報奨金を出すと公示した。
 戒厳令の第15条は、軍に令状なしの逮捕と7日未満の拘留を許可している。これまでに571人が喚問または逮捕された。この中には141人の学者、作家、ジャーナリスト、活動家が含まれる。


 逮捕された人たちの多くは、外部との通信を禁止され、どこに拘留されているかも不明である。その中には、11年に不敬罪容疑で逮捕され、11年の刑で服役中の労働運動活動家のソムヨットさんの妻と息子も含まれる。
 地域コミュニティーや農村で活動している人権活動家は、大きな危険と困難に直面している。6月にNCPOは、ルーイ県(タイ東北部)のナノンボン村に120人の兵士を派遣して、金鉱の開発に反対する住民たちを威圧した(村民たちが掲げる横断幕を撤去)。ブリーラム県(タイ東北部)では、土地紛争に関連して千人以上の住民が立ち退きを強制された。


 拘置所での「赤シャツ」(タクシン派)の活動家に対する拷問も11件以上報告されている。
軍が民主制への復帰を拒否し続けているため、全体的な政治状況の不確実性は続いている。タイの人々が軍の支配下での生活を余儀なくされている限り、人権の保護が改善される見通しはない。


 軍は国を支配するために暫定憲法を制定し、利用しようとしているが、軍に国を統治するための無制限の権限を付与し、しかも透明性も、責任も、法による統治も欠いている中で、民主主義的統治実現の可能性ははるか遠くに去ってしまった。
 人権侵害がまかり通り、免責される中で、タイの人々は喚問や、令状なしの逮捕・拘留、拷問、あるいは「行方不明」にされることを恐れて、自分たちを守る権利を行使できない。

(「プラチャタイ」のブログより)

 

 

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