たたかいの現場から

915号

◎クボタショックから10年 アスベスト公害は終わっていない

  6月27日、28日両日、尼崎市内で「クボタショックから10年、アスベスト被害の救済と根絶をめざす尼崎集会」が開催され、270人が参加した(主催者は尼崎労働安全衛生センターと中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会及び同尼崎支部)。


 2005年6月末、尼崎市内の機械メーカーの(株)クボタの旧神崎工場周辺で中皮腫を発症した患者3人がアスベスト公害被害を告発した。
 1950年代から70年代半ばまでクボタでは石綿水道管を製造していた。工場から飛散したアスベストを吸った住民に30年〜40年の潜伏期間をへて中皮腫などの健康被害を発生させていたことが社会問題になったのだ。
 患者と支援者はクボタと交渉し、社長に謝罪させ、最高4600万円の救済金を会社が支払う制度を作らせた。患者・家族の早期救済にとって画期的な取り組みだった。こうした出来事はクボタショックと言われ、日本初のアスベスト公害として歴史に刻まれることになった。


 集会では飯田浩事務局長(尼崎安全センター)がクボタショックからの被害の実状を報告した。この10年間でクボタの救済金申請者は298人。そのうち死亡者が271人、療養中が27人となっている(6月15日現在)。
 一方、クボタはこれまで276人に救済金を支払い、また社員(退職者を含む)の193人(死亡者172人、療養中21人)がアスベスト関連疾患を発症したと報告している(3月30日現在)。凄まじいアスベスト禍はまさに「緩慢なる惨劇」という他ない。


 医師から余命1ヵ月と宣告された中皮腫の男性患者(68歳)は、工場から1.7キロメートルのところに居住していたため、1.5キロ以内を要件にクボタは救済金を認めなかった。会社の理不尽な対応への無念の思いを語り、アスベスト被害の根絶を訴えた。
 また海外ゲストとして来日したイタリアやベルギー、韓国から被害者家族が日本の患者・家族と交流した。とくにイタリアのカザーレ市の遺族はエタニット社(石綿スレート製造)によるアスベスト被害により毎年50人の中皮腫患者が死亡しているというショッキングな事実を報告した。
 尼崎市のアスベスト関連疾患を調査している研究者は、今後5〜10年は被害が続き、アスベストばく露から50年後の17年頃にもう一つのピークを迎えると述べた。アスベスト被害はまだ終わっていないのである。


 クボタショックの翌年の06年6月、政府は職業ばく露以外のアスベスト被害者に対し石綿健康被害救済制度を作って救済金を支給することになった。これまで約1万人が救済給付を受けているが、労災補償に比べ救済給付の水準は低い。抜本的な制度改善を求める切実な患者家族からの声が日増しに強くなっている。
 また日本に輸入された1千万トンのアスベストの9割が建材として使われてきた。今後、国内の建築物の解体件数は28年にはピークを迎えると言う。アスベスト含有建築物の対策は急務の課題であることも指摘された。


 10年目を迎えた尼崎集会は、「国と企業によるアスベスト問題の幕引きを決して許さない。すべてのアスベスト被害者と家族の公平・公正な補償と救済実現」に向けて、全力で取り組むことを宣言し終了した。


飯田 勝泰(東京労働安全衛生センター)

 

◎自民党議員ら「報道統制」発言 メディア労組が相次ぎ抗議

 安倍首相に近い若手国会議員らが開いた自民党勉強会(文化芸術懇話会)での暴言に、批判と抗議が広がっている(7ページ、8〜9ページに関連記事)。


 問題は、出席した議員から政権に批判的な報道を規制すべきだという発言が続出した6月25日の勉強会だけではない。第二次安倍政権になってから、自民党の議員がテレビのニュース番組に対して、具体的な報道の内容に事細かく立ち入って注文をつけ、放送局の「停波」にまで言及してテレビ局に政治的圧力をかけることが目立って増えた。こうした言動は「何人にも干渉され、また規律されることがない」として放送番組編集の自由を保障した放送法に抵触する違法行為そのものだ。


 政治家から番組内容に文句をつけられるということは、ずっと昔から繰り返されてきたことであり、そういう意味ではジャーナリストとしてむしろ勲章のようなものだという言い方もできる。しかし、報道記者を呼びつけて文書を手渡したり、個別の番組を名指しして要請文を送るなど、最近の自民党のやり方は常軌を逸していると言っても過言でない。一連の若手議員の発言も、そのような傲慢さの表れではないだろうか。


 民放労連は、一連の発言が報じられた26日にすぐ抗議の委員長談話を発表。30日に緊急開催された院内集会でも、約200人の参加者を前に、新聞労連、出版労連の仲間とともに抗議のアピールを行った。また、新聞労連や沖縄二紙とともに民主党の会合でも意見表明を行い、議員の暴言を批判する活動を展開している。
 今回の問題では、さすがに新聞協会や民放連といった業界団体も抗議声明を出しているが、日頃マスコミが政治家におもねるような態度を取り続けていることが、彼らを増長させた側面もあるのではないだろうか。
 日本国憲法が保障する言論・表現の自由は民放労働者にとって欠かすことのできない基本原理だ。表現の自由に理解のない国会議員は、即刻バッジを外してもらいたい。

 

岩崎 貞明(民放労連書記次長)

 

◎労働者設立の会社が土地取得 スタンドの自主経営、軌道に

 組合つぶしのための計画倒産に抗し、労働者が自力で営業をつづけてきた東京都府中市のガソリンスタンドで、スタッフたちが設立した協同労働企業が土地建物を買い取ることに成功し、自主経営の基盤が確立した。


 発端は2013年1月30日。東京郊外の甲州街道沿いにあるガソリンスタンドを営む会社が、経営者によって破産させられた。労働者は、生活と誇りを守るためユニオンに結集し、職場を占拠し、自主営業を続けた。整備士資格を持つスタッフが多く整備工場もあり、地域に根強いファンが多かったことから、何者によっても職場をつぶすことはできなかった。
 同年5月、破産手続きのなか、ユニオンの取り組みを理解するスポンサーに入札で土地建物を買い取っていただき、労働者たちは自らの協同労働企業(法人格は合同会社)を立ち上げ、賃貸契約を結んだ。翌日、労働委員会において残された紛争に決着をつけ、労働者たちは自ら経営するという経験したことがない道に踏み出した。


 それから2年。私たちはついに、本当に職場を自分たちのものにした。経営実績を重ね、地元の信用金庫からの融資を受け、土地建物を買い取ることができたのである。
 傲岸(ごうがん)な地主経営者は、労働者を酷使し続け、労働者が団結したあの日、会社を破産させた。「誰の手によっても経営困難」とうそぶいて。しかし、経営困難なはずの会社をただの労働者≠ェ維持し、買い取ったのだ。地元生まれ地元育ちの、ちょっとヤンキーな、車とバイクを愛する兄ちゃんたちが。


 8月22日18時から、現地スタンド(府中市白糸台6―8―3)で、出資者総会と兼ね、祝いの場を設ける。

 就労・雇用創出、地域社会に必要な商品やサービスの持続的提供、企業再生や事業承継、こうした今日的課題を解決するための選択肢の一つとして、私たちは、労働者自身による自主管理・協同労働の制度化を提案したい。

 

鈴木 剛(東京管理職ユニオン委員長)

◎追悼 吉川勇一さん

 元べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の事務局長だった吉川勇一さんが5月28日、慢性心不全により84歳で亡くなられた。
 吉川さんといえば「元祖市民運動」である。べ平連時代以降も、日本はこれでいいのか市民連合(日市連)を結成し、1987年から今日までは、市民の意見30の会の活動を継続してきた。その間には三里塚廃港要求宣言の会や6月行動など幾多の知識人、活動家と市民運動の接点を担ってきた。

 吉川さんは、70〜80年代にかけて反戦・平和、反権力、反内ゲバなどの諸行動の「呼びかけ文」の起草、賛同人、呼びかけ人の「集約」をいつも完璧にされてきた。
 労働情報関係者では渡辺勉さん、樋口篤三さん、今野求さんらとはつき合いが続いていた。


 私が学んだことの一つは「継続すること」の大切さである。運動が資金、人などで退潮期に陥った時「止めたくなる」時が必ずあるはずだ。その困難な時に、吉川さんは「政府・自民党が9条を壊し、改憲の意図をもっているのに運動を解散していいのか」という信念で一人になっても「市民の意見」のニュースを作っていたのを思い出す。

 私は今でも「名ばかり店長」のような事務局長だが、吉川さんは生涯「事務局長」だった。
 ご冥福を祈ります。

 

吉田 和雄(市民の意見30の会・東京)

 

 

日日刻刻  「増える過労死 (6.10〜26)」

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