たたかいの現場から

919+20号

◎大義なき原発再稼働 追い詰められたのは九電

 8月11日午前10時30分、「制御棒を抜くな! 再稼働を止めろ」の抗議のなか、川内原発1号機の原子炉が起動された。これで国内の全原発が停止して以来、1年11ヵ月ぶりに運転が再開されることとなった。


 私たち3.11実行委は、これまで非暴力・不服従を基本に据え、メンバーによる民主的な討議によって方針を決定してきた。今回特に心配されたのが、7日から11日までの長丁場を、炎天下で、しかも交通の不便な川内原発前にどうやって人を集めるかであった。
 だが、経験豊富なメンバーたちから、カレーフェスタ(2日、鹿児島中央駅東口)、ウエル亀ロックフェスタ(8〜9日、久見崎海岸)、起動前大集会(9日、久見ア海岸)ゲート前抗議行動(7〜11日)などの企画が次々と提起・決定されてきた。


 さらに川内駅や最寄りの駐車場から参加者を送迎するシャトルバスや、県下各地から駆けつける貸し切りバスの手配、仮設トイレの設置やトイレ搬送のためのワゴン車配備などと併せて、それらの経費を捻出するための川内ゲート前基金の呼びかけも行われた。
 また東京からは、100名を超える「原発現地へ行く会」が参加し、呼びかけ人の鎌田慧さんや広瀬隆さん、賛同人の菅直人元首相も抗議行動の先頭に立ち、ゲート前や集会場で再稼働の不当性を訴えた。
 私たちが最も恐れていた熱中症も、マイクによる呼びかけや救急医療スタッフを配置巡回することで、2名が病院に搬送されたものの、大事には至らなかった。結果として、猛暑のなかでの連日のゲート前行動や現地では最大規模となる2千名の抗議集会・デモも無視され、再稼働はされてしまったが、なぜか私たちは負けた気がしない。


 それは決して負け惜しみではなく、この間、私たちの再三にわたる公開質問状に対して、九州電力、県知事や県議会、川内市長や市議会などの原発推進側が、何一つまともな回答もできず責任逃れだけに汲汲としてきた態度に表れている。さらに今回の再稼働では、九電はすべてのゲートを自ら封鎖、警備員と警察に守られて、こそこそと隠れて再稼働をやらざるを得なかった。
 なぜならば、原発を動かす大義がどこにもないからである。原発が安全でクリーンで発電コストが安いなどと言うことを信用する人は、ほとんどいないし、ましてや「電気が足りない」などは、もはや笑い話に過ぎない。
 強いて挙げれば、原発立地自治体に落ちる原発マネーと雇用程度だが、これすらも福島のような過酷事故が起きてしまえば元も子もない。だからこれまで固く口を閉ざしてきた地元住民たちも、「もう原発はいらない、故郷を守ろう」と、6月28日には不同意住民デモを敢行し声を上げるようになってきた。


 つまり危険な原発は厄介者となってしまったのだ。
 先進国は原発からすでに撤退し、東芝は原発稼働停止によって粉飾決算を余儀なくされた。福島の原発事故では東電の経営者らの刑事責任が問われはじめた。原発安全神話は過去のものとなり、規制委・田中委員長は「安全だとは申し上げません」を繰り返し、責任回避に躍起になっている。
 今や本気で原発の必要性を思っているのは、核燃料サイクルを維持しながら、核兵器を持つチャンスを窺っている安倍首相とその取り巻き連中だけではないのか。
 再稼働後の共同通信の世論調査でも、原発再稼働反対は55%となっていて、戦争法案反対も50%を超えている。
 九電は、川内2号機の再稼働を10月中旬に設定している。さらに追い詰め、そして廃炉に追い込もう。

向原 祥隆(ストップ再稼働! 3.11鹿児島集会実行委員会事務局長)

 

 

◎「今こそ路上で、自分の声で」戦争法案反対 世代超え高揚

 「日本人はいつ抵抗するんだ」―。そんな言葉が海外の知人からよく寄せられるが、8月30日、国会周辺に結集した人々の姿に、戦後70年間ずっと抵抗してきた形が見えた。


 12万とも35万ともいわれる人が霞が関界隈、そして全国200カ所以上もの都市で、安倍政権の推し進める戦争法案(安全保障関連法案)に反対して抗議した。子どもを抱えたお母さんから、高校生、60年・70年安保世代、そして戦争世代が思いをひとつにして国会の方を向いていた。
 トラメガで「戦争法案マジでむかつく」と叫んでいたSEALDs関西の21歳大学生は、「今まさに声をあげることが大事。『日本ヤバい』とか友だちとの間で言っているだけでは声は広がらない。路上で、自分の声で伝えなきゃ」と訴えた。
 夫と娘と参加した63歳の女性は日比谷公園の一角で開かれていた集会に参加したが、そこは40年前、夫と二人で安保反対デモや沖縄返還を求めるデモに参加した懐かしの場所だったという。


 戦争する国へと向かうこの流れは、小選挙区制度にした頃から始まり、国歌斉唱や愛国心の教育などの積み重ねで作られてきた、とこの女性は話す。
 「知らないうちに気がついたらおしりに火がついていた状況」だが、「平和は努力しないと維持できない」。
 この70年間、時代の節々で人々の抵抗があってこそ非戦の国であることができた。その蓄積された経験が、いままさに政治を動かそうとしている。

 

松元 千枝(team rodojoho)

 

 

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